レース用ランニングシューズを2000km使い込んだ。 ~ウェーブエキデン SI(ミズノ)
先日の袋井クラウンメロンマラソンは30km過ぎで足がつって、不甲斐ない結果になりました。シューズが悪いわけではないですが、ふと確かめると、シューズの指の付け根の踏み込み部分が、インナーくらいの厚さしか残っていないことが分かり、ついに買い替えることにしました。
最近は年間走行距離1500kmくらいを2足のシューズで走っています。今回使ったシューズは3年4か月使ったので、少なくとも2000km以上走っていると思います。一般にランニングシューズの寿命は500~1000kmと言われています。レース用シューズはもっとも寿命が短い部類ですが、使っちゃいました2000キロ。その相棒がウェーブエキデンSI。。。
驚異的に軽い、ガチのレースシューズです。本来は高速ラン用のシューズで、キロ5分程度で走る私が履くシューズではないのですが、薄く軽いのが気にいって(&見切り品でお安かった)使っていました。使い心地はほんとにフィットして気持ちよかったです。薄い生地ですが、意外とまだへたっていません。
使い込んだシューズの裏は...
意外とキレイです。が、よく見ると全体にすり減って、左右のかかと外側は完全にピンクのミッドソールが見えて、ゴムがないです。また、人差し指の付け根当たりのゴムが無くなってこちらもミッドソールになっています。もともとその上あたりはゴムのないエリアですが、自分は一番その部分が減るので、そもそもシューズのアウトソールの配置と走り方があっていないのでは???というのはご愛敬。中から触ってみると、その付近は本当に薄くなっていて、(ミッドソールもつぶれている)前述の通りインソールの厚みくらいしかないです。
このシューズ、アウトソールのゴム(黒い色のところ)はジグザクの線状に独立していて、スパイクのようなグリップ感が売りなのですが、その分か細いゴムなので、ぱっと見は簡単にもげてしまうのでは?と心配していました。でも2000km走ってもゴムはほぼ取れていません!それだけでもミズノの技術力は高いなぁ~と感心します。まだまだ履けそうでしたが、一番使う部分が無くなっているので、買い替えることにしました。というわけで、次のシューズは...
同じくウェーブエキデン! 11です。こちらの方が少しストイックさが抜けて僅かに重くなりますが、ゴムの配置が一様なので、うまく使えそうですね。それ以外の違いとしては、ちょっとかかとがちょっとゆるくなりました。
履き始めなのでまだ硬い感じがしますが、これから徐々にならしていきます。
朝霧高原③ ~奇石博物館 2018/11/25
キャンプの帰りに、奇石博物館に立ち寄りました。ここは珍しい石の宝庫です。宝石、化石、光る石に希少石、、、なんでもあります。うんちの化石とかも触れるし、きれいな音のする石(カンカン石)やはたまたぐにゃぐにゃ曲がるコンニャク石(ほんとに具曲がります!)を体験できたりして、マニアックに楽しいところでした。
子供たちは、それに隣接した宝石探しの施設『宝石わくわく広場』に大はしゃぎ。時間制で、きれいな石や、当たりのサイコロが出ると、宝石をもらえたりもします。大人も子供も必死に宝石を掘りまくってます!!
こんな感じで、砂利の中からキレイな石を探します。
うちは子供だけ参加しましたが、宝探しゲームのようで楽しかったようです。
家族連れはこちらの施設の方が断然人が来ていて、博物館の方にはいかない人が多いようです。回数券もあり、リピーターも多いみたい。。。ですが、博物館も面白いですよ。子供は宝石探しをして、その間に大人は博物館、とかもありかもしれません。
というわけで、いろいろ満喫した朝霧高原キャンプでした。
朝霧高原① ~ふもとっぱらキャンプ場 2018/11/23-25 - TAKEUMA’s blog
朝霧高原② ~まかいの牧場 2018/11/24
キャンプ2日目。まかいの牧場に初めて行きました。ちなみに漢字では「馬飼野」だそうです。あたたかく、うららかな日和で富士山も存分に見えました。
子供たちは馬に乗ったり、動物にエサをあげたり、触ったりで大はしゃぎ。
牛の乳しぼりもしました。私も初めてやりましたが、結構気持ちよく出ます。とはいえ手作業でやるのは大変だなと思いました。
ヤギと奇跡の2ショット自撮り!
子供はアスレチックなどのアトラクションも満喫し、1日楽しみました。買い出しのため、3時前には退場。
これは牧場ではないですが、私も牛気分を満喫しました!!
朝霧高原① ~ふもとっぱらキャンプ場 2018/11/23-25 - TAKEUMA’s blog
朝霧高原① ~ふもとっぱらキャンプ場 2018/11/23-25
めずらしく会社休日で3連休。せっかくなので天気予報を確認してから、空いてるキャンプ場を探して予約。キャンパーのブログを見るとたびたび登場するので気になっていた『ふもとっぱらキャンプ場』です。場所は朝霧高原、富士山の西側・・・つまり朝日が富士山から上がる場所にあります。
さっそく昼過ぎに到着。広い、そして混んでる!オールフリーサイトで、どこでも張れますが、今日は満員ということで、なかなか場所選びが大変でした。結局管理棟の南側の方、入ってくる道路の近くに良い場所をゲットしてテントを設営しました。
富士山が目の前にドーンとあります。
混んでいるとはいえ、一般的な区画サイトよりよほど広く、子供はバトミントンで遊んでました。
さて、今回の幕営はカンガルースタイル(テントinスクリーンタープ)です。初日夜半には雨が降ったので、このスタイルで正解でした。
このキャンプ場土質はそれほど良くなくて10cm下には硬い層があり、長いVペグは全然入りません。また、水はけは良いものの水持ちがあり、しっとりしている感じです。それに緩やかな傾斜、凸凹もそこかしこに。。。というわけで、決してテント張りに適した土地ではありません。
しかーし、そんなデメリットも掻き消えるように、富士山の眺望と、場内の広さは圧巻です。満場で1500張りのテント!(広いと思っていた渚園でも最大120張りくらいだと思います)本当に見渡す限り、果てまでテントが続いていて端が見えない。その先には富士山。背後の毛無山も見ごたえがあります。自然に囲まれて、もう、そんな景色だけで本当に満足で、キャンパーの聖地と言われる所以もわかります。
もはや言葉にならないインスタ映えな景色だらけなので列挙。
朝もやの場内。
夜もいいんです。
ちょうど満月。
焚き火も楽し。
月明りに富士山だって照らし出されます。
そして朝日もよろしくて。
朝焼け中の逆さ富士の静謐さ
ちなみに、さすがに晩秋は寒いです。朝のタープ内は-1.5℃。幕についた霜や雨水は凍りました。それでもこの雄大さは唯一無二で、他に何もいらないと思わせるキャンプ場でした。ふもとっぱら、また来たいです。
朝霧高原① ~ふもとっぱらキャンプ場 2018/11/23-25 - TAKEUMA’s blog
七五三 @焼津神社
下の子の七五三をやりました。お着物は私の妹(!)が使ったもの。上の子や妹の子供も使っていて、現在5人目の七歳を祝っている縁起ものです。
普段は子供っぽい下の子も、お化粧をして大人っぽくなっています。ふるまいまでなんだかお上品で、素敵でした。上の子も、制服っぽい服を借りてなんだか急に成長した感じ。
実は妹の子供やいとこの子供とも合同。女8人男2人の大所帯で盛り上がりました。おじいちゃんもデカいケーキを用意してくれて、、、プレート4つが余裕で載っている大型サイズのいちごたっぷりショートケーキ! 意外とみんなで分けて食べきっちゃいました。おいしかったです。
子供の成長は本当に早いものです。ありがたくもあり、嬉しくもあり、寂しくもあり。。。
森林アスレチック 2018/11/11
本日はお日柄もよく、浜北にある森林アスレチックに挑戦。こちら、夏に私と子供で来たけれど、今回は奥様も参戦。小学生くらいから大人まで楽しめます。有料だけに、だいぶ本格的なものが合計40基。
たとえば、こんなすり鉢を走り回ったり、
どんぶらこしたり、
ネットのトンネルを宙返りしたり(ほんとは向きを変えて回れるのですが、私はそのまま向きを変えずに頭から下ったので、みんなにビビられました!)
ようやくゴール!
順路通りまわっておおよそ2時間でした。いい運動になりました。
稲穂のささやき / 『悼む人』は実在するかも
私は会社の昼休みに窓から外を眺めています。「たそがれてるの?」と聞かれるけれど、そう、たぶんたそがれてます。
というのは嘘で、目を休めるために遠くの山や、神社の木々を見ています。それから、目の前の水田。季節ごとの稲穂のうつろいは見ていると安らぎます。穂を揺らす風の形が、通り抜けていく様が、見えるんですよ。
さて突然ですが、有史以来、人類は何回稲刈りをしたでしょう?農耕が始まったのが弥生時代からだとすると、2000~3000年前です。かなり昔のように感じるけれど、たかだか2000~3000回しか稲刈りをしていないのだと思うと、とても少ないように感じます。(毎日やったら10年分にも満たないですね) その1回を食事でいただいているのかと思うと、お米が貴重な気がしてきます。
さてこの稲作、身近で生活に根付いたものだと思います。日本は瑞穂の国と言われていて、天皇の祭祀にも田植えや稲刈りがあり、稲の生育を祈ることが重要な役割のようです。
少し話が変わりますが、天皇の祈りで思い出しました。
天童荒太の直木賞小説『悼む人』の話。主人公・静人は新聞を見て忘れられたような死亡記事を調べては現地に赴き、悼むという行為を繰り返しながら各地を旅する、という小説です。その行いに何の意味があるのか、誰にもわからないままに。
非常に面白く感動的な小説なのですが、どこかで、そんな人いないだろう、というフィクションな気持ちが私の中にありました。
でもふと、もしかして天皇こそ実在の悼む人ではないか、という気がしてきました。今の天皇は象徴であって、権力は無く、仕事と言えば人に寄り添い祈ることしかできないのです。災害があれば、現地に赴きひたすらに励まし、悼む。昔の戦争もいまだに悼んでいる。。。 悼む人(静人)は意外なところに、本当にいるのかもしれない。
そんな取り留めのないことを、窓外を見ながらボ~とおもっています。