なにか、足りない

最近気持ちがくさくさする。なんだか足りない。仕事に追われ、生きている感じがしない。何がそうさせるのか、最近やっとわかった。たまたま詩を読んですごく納得した。

 

自分の感受性くらい  茨木のり子


『ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて』

 

からはじまり、

 

『自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ』

 

で終わるこの辛辣な、愛のある言葉。そう、悲鳴を上げていたのは、私の感受性なのではないか?

私はあまり仕事人間ではない。できる人はみな同じで個人的にはつまらない。すなわち、できる人は常に自分のストーリーがあり、部下や周囲の人に対して、私のストーリーに対してどう対応するか、どう貢献できるか、という聞き方をしてくる。まず自分のストーリーがあることが前提であり、議論の余地がなくゆるがない。こちらからすると他人のストーリーの上で仕事をしても、何も面白くはない。生きた心地はしない。

この詩でわかった。心がこの閉塞した状況から、未知の世界を知りたがっているのだと。それは外からくるものではなく、自分から扉を開かねばならない。自分で守るものだから。仕事なんかにかまけてはいられない。

みんなどうしているのだろう。日々こんな疑問を抱いて生活していないのだろうか?私はたびたび、くさくさしている。でも、この詩を得て納得した。

まずは美術館にでも行って、こころに水をやろうか。それとも、日々、自然と仲間の中に愛を見出そうか。