稲穂のささやき / 『悼む人』は天皇?

私は会社の昼休みに窓から外を眺めています。「たそがれてるの?」と聞かれるけれど、そう、たぶんたそがれてます。

というのは嘘で、目を休めるために遠くの山や、神社の木々を見ています。それから、目の前の水田。季節ごとの稲穂のうつろいは見ていると安らぎます。穂を揺らす風の形が、通り抜けていく様が、見えるんですよ。

さて突然ですが、有史以来、人類は何回稲刈りをしたでしょう?農耕が始まったのが弥生時代からだとすると、2000~3000年前です。かなり昔のように感じるけれど、たかだか2000~3000回しか稲刈りをしていないのだと思うと、とても少ないように感じます。(毎日やったら10年分にも満たないですね) その1回を食事でいただいているのかと思うと、お米が貴重な気がしてきます。

さてこの稲作、身近で生活に根付いたものだと思います。日本は瑞穂の国と言われていて、天皇の祭祀にも田植えや稲刈りがあり、稲の生育を祈ることが重要な役割のようです。

少し話が変わりますが、天皇の祈りで思い出しました。

天童荒太直木賞小説『悼む人』の話。主人公・静人は新聞を見て忘れられたような死亡記事を調べては現地に赴き、悼むという行為を繰り返しながら各地を旅する、という小説です。その行いに何の意味があるのか、誰にもわからないままに。

非常に面白く感動的な小説なのですが、どこかで、そんな人いないだろう、というフィクションな気持ちが私の中にありました。

でもふと、もしかして天皇こそ実在の悼む人ではないか、という気がしてきました。今の天皇は象徴であって、権力は無く、仕事と言えば人に寄り添い祈ることしかできないのです。災害があれば、現地に赴きひたすらに励まし、悼む。昔の戦争もいまだに悼んでいる。。。 悼む人(静人)は意外なところに、本当にいるのかもしれない。

 

そんな取り留めのないことを、窓外を見ながらボ~とおもっています。

ちなみに今の天皇の名前はあきひと(明仁)ですね。