TAKEUMA’s blog

大人になった未来の我が子に向けて。父と君たちとの『今』を伝えるためのブログ

子供の不幸な事件だけは耐え難い。

また父親が子供を虐待死させた痛ましい事件があった。特に今回は子供の年齢が年齢なので、他人事とは思えないくらい、悲しい。

 

子供達に罪はない。そして未来がある。もう自分は大統領になることはないが、子供はアメリカ大統領になる可能性だって、あるかもしれない。子供の人生を、未来を、奪う権利は親にだってないはずなのに。

 

どうすれば、こういう痛ましい事件が無くなるのだろう。

 

私は、暴力によって言うことを聞かせるのは、弱い人間のすることだと思う。確かに、子供の言動に納得がいかなくて、嫌になることがたくさんある。でも、それを言葉や理屈や忍耐によって伝えることができず、ただただ力に頼って服従を強いるのは、自分が無能だと言っているようなものだ。それって、かっこ悪いことだと思う。

とはいえ、暴力と服従(&スマホ等)でしか解決方法を知らない親が多い気がする。ちゃんと子供に向き合えない、向き合おうとしていないように思う。

 

私も子供は苦手だけど、でも、一個の人間として接しているつもり。子供の人生は子供のものである。親のものではない。(同様に、妻の人生も妻のものとも思っている。夫のものではない。だから、妻には自由に、やりたいと思ったことをやってもらいたい。語学だろうと、旅行だろうと、浮気だろうと、ちゃんと自分の人生を楽しんで、後悔なく生きてもらいたい。惜しみなく協力はするけど、私の人生じゃないんだから。)

 

子供の不幸な問題って、残念ながら、制度とか児童相談所とかで解決できるとは思えない。 親が悪いと決めつけても解決しない。親も初めから親ではないから。子供と共に親になっていくから、親歴は子供の年齢と同じ。子供と同じように成長途中だから、本当はひどい親ほど、救ってあげなければいけないと思う。昔は同居の祖父母から親としての何たるかを教わったかもしれないし、近所に子供がいっぱいいたから、子供がどのくらい生意気か分かったかもしれないが、今は本当に手探りで親になっていくしかない。子供に教育が必要なように、新米の親にも親教育が必要なのかもしれない。

 

急な解決策はないかもしれないが、なにとぞ、世の中が幸せになってほしい。誰しもが不幸になりたいなんて思っていないのに、なんで世の中は不幸なことがいっぱいあるのだろう。

そういえば、昔、忌野清志郎が、

「子供のころ、21世紀になったら世の中がもっと進歩して平和になっていると俺は思っていたよ。みんなだってそうだろう。なのに、なんで、なんで21世紀になっても世の中が平和になってないんだよ!なんでだよ!」みたいなことを叫んでいたのを思い出す。同じように、ほんとに間違いなくみんなが幸せになりたいと願っているのに、なんで実現できないんだろう。

 

 ただただ、ご冥福をお祈りします